(群衆) 誰も私の悩みを知らない 【苦悩に足掻いて】 Que nadie sepa mi sufrir (フリオ・イグレシアス) / 訳詞初稿 Sima

chanson de Simacchi 2017-05-05

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誰も私の悩みを知らない Que nadie sepa mi sufrir は、エディット・ピアフÉdith Piafの「群衆La foule」の原曲で、アルゼンチンの歌手でもあったアンヘル・カブラルÁngel Cabralが作曲したものに、エンリケ・ディセオ(Enrique Dizeo)とカブラルとの共作で作詞された作品。
1953年に発表されアルフレッド・デ・アンジェリス楽団(歌:カルロス・ダンテ)でヒットしていたようだ。
エデット・ピアフは、1956年のオランピア公演の後、9月にNYを皮切りに(’57年1月カーネギー・ホールでのリサイタルを挟んで)翌57年の8月まで11ヶ月間のツアーへと旅立ち、3月にはアルゼンチン、リオデジャネイロ、ブラジルなど南米を廻りました。
そのアルゼンチンのブエノスアイレスで耳にしたのが、この「Soledad - Que nadie sepa mi sufrir 」(誰も私の悩みを知らない)だと言われている。
南米ペルーで作られたワルツとされていましたが、当時ギターやヴァイオリン奏者で、タンゴの作曲家で歌手でもあったプエノス・アイレス生まれのアンヘル・カブラル(Angel Cabral)の作品でした。
詞は、アルゼンチンでも幾多のタンゴの作品を書いている著名な作詞家だと言う。

ピアフは、早速ミッシェル・リヴゴーシュMichel Rivgaucheにフランス語への作詞を依頼、翻案され、翌58年にピアフがオランピアで創唱するまでに、10回以上もの書き直しをさせられたという伝説もある。
原曲の方は、ピアフのフランス語版の成功の後、Amor de mis amoresというタイトルでもリメイクされたり、様々にリズムを変えたり、アレンジを加えたりのアプローチを試みて、実に多くの歌手により歌われています。

今回のアップは、フリオ・イグレシスのバージョンですが同じスペインでも、より現在に近いタマラ(Tamara)が歌う“Que Nadie Sepa Mi Sufrir”になると、ペルー(?)のフリア(Julia)の踊りと歌などにも、かなり近いテイストを感じられ、ピアフの「群集」からは遥かに隔たった歌になっていると言われたりもしている。
比較的に「群衆」を基にしたアレンジやアプローチ作品は、あまり無いように思うがどうだろうか。

参考
 群衆 (拙訳)
  https://youtu.be/sACq9BEjOqA

訳詞・歌 Sima
Pf. 江口純子 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.159 (初稿)

シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured

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